昨日、私は娘を叱った。私の人生の中でも純粋に魂の声として上げたのは初めてかもしれない。
娘は、今、不登校になりつつある。朝、いつものように行きたくない、と駄々をこねていた。娘が、学校に行くことを嫌がる相応の理由があることは理解しているつもりではある。ただ、正直言うと、本当の理由やなぜかということには想像もついていない。
早朝から二時間にも及ぶ説得を含めたやり取りの中で、娘が「家出をしてやる」と吐き捨てた。それが、冗談であることは間違いないし、言ってみただけなのだろうということも分かる。
しかし、私はその言葉に真の怒りを感じ、娘に正しく教える必要を強く感じた。そして、本気で叱った。娘は恐怖だったに違いない、もしかしたらトラウマになるほどだったかもしれない。
家出をする、などということは冗談でも言ってはいけないし、思ってもいけないことだ。生命を安全に守ってくれ、食事もすることができる、地球上でもっとも恵まれた環境だ。今も戦場で明日の命があるのか分からない子供達が多く存在する。飢えに苦しんでいる子供達もいる。そのような思いが頭を駆け巡り、私の本気度を娘に伝えたかった。この国で本当に「家出」をしてしまえば、終局的にそれは死を意味する。
Y8になり不登校になりつつある日々で、娘は私の部屋で寝起きするようになった。しかし、それは言い換えれば、居心地の良さもあったのかもしれず、逆に学校に行きにくくした面もあったのかもしれない。
私は、仕事をしながら傍らで眠るまだ幼い表情の娘を見ていた。それは私にとってひとときの安らぎでもあったのかもしれない。そんな日々も昨日が最後の日に違いない。悲しいが、これからもいろいろな最後の日があるのだろう。
そんな娘に渾身の怒りをぶつけるのは本当に辛いことだった。しかし、必要なことだと直感的に強く思った。今でも私の行動が正しかったのかはわからない。おそらく心理学的には間違っていたのだろう。しかし、私の行動は親にしかできない、子供への真の意思の伝え方だと思っている。
私が死んだ後、この文章が子供達の目に留まることがあるなら、父のこの気持ちを受け入れて欲しい。
二〇二三年一〇月四日